お知らせ

2020/11/7

ヒストリカ・ワールド『荒地の少女グウェン』スペシャルインタビューを公開!

ヒストリカ・ワールド『荒地の少女グウェン』スペシャルインタビュー(2020年10月28日収録)
ウィリアム・マックレガー(監督)
(聞き手:京都ヒストリカ国際映画祭 ヒストリカ・ワールド プログラミングチーム)

監督とプロデューサーとの事前インタビューの内容を公開いたします。作品への理解をより深める一助となれば幸いです。
※以下の記事にはネタバレが含まれていますので、ご注意ください。

『荒地の少女グウェン』をまだご覧いただいていない方は、2020年11月8日(日)まで動画配信サイトMIRAIL(ミレール)にてオンライン上映分を販売しておりますので、ぜひお先にご覧ください。→『荒地の少女グウェン(MIRAIL)』 『ヒストリカ・ワールド4本パック(MIRAIL)』 ご購入後は30日間のレンタル期間(初回再生からは14日)がございますので、お好きなお時間にお楽しみいただければと存じます。



●わたしたちの映画祭では、その国の固有の歴史や文化を知らなくても楽しめる作品を選んでいます。その中でも、近年は時代劇×ホラーというのが流行のジャンルだと感じています。『荒地の少女グウェン』も、シンプルなプロットでホラータッチに物語を描いた作品ですが、その部分にウィリアム監督のこだわりはあるんでしょうか?

ウィリアム: 私はもともとフォークホラーに関心があったので、民俗的なものからインスピレーションを受けていました。でも、それは私だけではなく、様々な分野で製作に関わる人、特にイギリス人はみんなそんな感じなんじゃないかと思います。今のような時代は色々と問題を抱えている人が多く、これからどうやって自分たちの人生を向き合っていくのかと考えるときに、古典や民話などを参考にすることもあるかと思います。純粋な現代ドラマだと多くの方というよりも限定された方からの共感しか得られませんが、普遍的な題材であれば、どんな視点でもいろんな方から共感してもらえるんじゃないかと思い、このような描き方をしました。

●普遍的と言いますと、恐怖や人間の存在の不審さだったり、そういった心の不安定さを描くためにホラーを選んだんでしょうか?

ウィリアム: ホラーというのは、真実味があるものを描く時に一番力を発揮するんじゃないかと思っています。たとえば、本作のストーリーだと、家がなくなってしまかもしれない…みたいなところは最もホラーと結びつきやすいんです。ただ単に心霊現象的なものや超常現象的なものを描くのではなく、ホラーの中にちゃんと真実味があるということを作品に見出していただけることを願っています。

●たしかにホラーチックな描き方をされているんですが、その超自然的なものがあらわれるわけではないですよね。非常にリアリズムに則ったドラマだと感じました。ジャンルの誘惑に負けて、超自然的な存在を物語に導入しようと思ったことはないんでしょうか?

ウィリアム: 本作品に関しては、「グウェンから見た母親」というように、キャラクターの視点を利用した人物の勘違いを利用し、もしかしたら心霊現象かもしれないというミスリードは意図的に作っています。本当にホラーの部分は最初から最後まで、母親ではなく男たちであるということは一貫しています。 もしかしたら、ホラー映画というジャンルとしては、観客の期待を裏切ることになるかもしれません。重点を置いているのがリアリズムなので、物理的な心理現象のようなものをそのまま描くことはしませんでした。

●ウィリアム監督がここまで救いのないドラマを描こうとしたきっかけはあるんですか?現在の社会状況、現在の観客の心に刺さるものをと、意図していたんでしょうか?

ウィリアム: 『荒地の少女グウェン』を撮影したのはもう2年前になります。脚本を書き始めたのは、2011年です。助成金をいただいていたブリティッシュフィルムインスティチュートはハリウッド式のコマーシャル思考であったり、ハッピーエンドでないといけないみたいなものがあまり強くなかったので、現実的なものを描くチャンスだなと思って、今回の題材を選びました。ハッピーエンドというものに拘らず、現実を直視するということは、歴史としっかり向き合うということでもあると思うので、大切なことです。 ただ、現在の状況を考えると、ロンドンはずっとロックダウンされていて出られないという状況なので、今執筆活動をすると、とても鬱屈したものが出来上がると思います。あの時、ハッピーエンドにしておけばよかったかも……(笑)。

●まさに今の世界を反映している、現在の人びとが持っている恐怖というか不安を的確にイメージとして描いた映画となっていると思います。

ウィリアム: 私自身、悲劇や重々しい雰囲気のものを観るのは好きなんですが、今コメディが必要な状況になっていますよね。このへんは作り手にとっても難しいところです。

●私の見解ですが、イギリス映画にはどこかユーモアというかウィットに富んだ印象があります。なので、救いというか、どこか「逃げ場」みたいなものを求めてしまう。でも、この映画には救いがないし、逃げ場のない今観るにははちょっとしんどいかもしれませんね。

ウィリアム: ホラーの作り方とコメディの作り方っていうのはテンションのあげ方が全く違います。ホラーの場合だと、緊張感を徐々に作りあげていくのが目的ですが、コメディは緊張感を作ってそれを発散するための緊張感という作りになっています。たとえばこの作品は最初の脚本の段階では、もう少し面白い場面やセリフがあったんですが、そうするとせっかく積み上げてきた緊張感がそこで発散されてしまうので、今回はローラーコースターみたいな感じではなく、ずっと一直線に積み上がっていく緊張感っていうのを描きたかったので、観客のみなさんにとっては酷だったかもしれませんが、そういう風になりました。

●ローカルな宗教や文化的なものなど、そういった特性とかってあるんでしょうか?ウェールズの独特の風景に心打たれました。

ウィリアム: この映画を作るにあたって、時代考証的な部分はもちろんのことですが、風景やどういうものがあったのかというのをリサーチをしました。それ以外にも、民話などもきっちりと調べています。 例えば、羊のガイコツを叩き割るシーンは実在する昔の民話がベースになっています。不運なことや嫌なことが起こった時にそれを浄化させるという目的で、昔は実際に行われていたそうです。ただ、グウェンの視点から見ると、彼女はそういうことを一切知らないので、お母さんがおかしくなってしまった、もしくは魔術のようなものに手を伸ばしているのではと勘違いしています。でもグウェン本人がわからないので、一緒に見ている観客もどういう意味かは全くわからないという位置付けですね。それ以外にも、当時みんなが信じていたような、こういうことをしたら守ってもらえるとか安全だとか信じている民間信仰のようなものがたくさんあって、それを参考にしていました。

●グウェンの母親が瀉血するシーンがあると思うのですが、迷信がらみでしょうか?それとも宗教がらみですか?

ウィリアム: 腕を切って血を流していたのは、どちらかというと擬似科学の分野に分類されているものですね。これも昔は本当に信じられていたことで、自分の中に悪いものがあれば、血を流すことによって、悪霊的な意味合いでも病的な意味合いでも、悪いものが出ていくというようなものなんです。 映画では採用しませんでしたが、他のこともリサーチしていて、それを利用した理由はわかっていなくても、それが効いてしまったというような迷信みたいなものもあります。たとえば、腕にジャガイモを括り付けて寝ると、出来ていたイボが治っていくみたいなのがあったんですが、それは血流に影響があって、本当に治ってしまったという例も少なくないんです。他には、首の周りに薬草をくくりつけるという治療法もあって、薬草の種類は合っているけど、外に身に付けるのではなく、消化をしないと効かないみたいなのもありました。今ほど医療が発展していなかったので、いわゆる民間医療と言いますか、なんとなく何かが効くっていうのはわかっているけど、構造がわかっていないからどこか間違えているみたいなのが多かったみたいです。

●動物の心臓がドアに貼り付けられたのは何かのメッセージですか?

ウィリアム: 疑似科学とか迷信というよりも、魔女除けのためにおこなわれている儀式のようなもので、魔女を退けるために、動物の心臓を釘で貫いて、扉に付けるんです。あの描写は村の社会だったり、町の人びとがグウェンの母親を追い出そうとするための描写として採用しました。ただ、本来なら映画の中でもう少し文化背景みたいなものを説明する必要があったかもしれません。でも、グウェンの視点ではなにが目的なのかわかっていないので、そこはあくまでグウェンの視点として、詳しい説明を入れませんでした。この迷信に関しては、1970年くらいに私の地元の教会で動物の心臓が打ち付けられているという事件がありました。現代社会なのにまだそういうことがおこなわれているのかというくらい根付いている迷信です。

●科学とか近代の論理では割り切れない迷信という部分にフォーカスしているからかもしれませんね。人びとの心の中に闇が浮上したり、人間本来の不安定さみたいなものがどんどん浮き彫りになっている時代だからこそ、ホラー映画がトレンドになってるんではないでしょうか。

ウィリアム: もちろん、ホラー映画は流行だと思います。この理由は二つあると推察していて、観る人も作る人も、その個人は自分の周囲にあるものに影響されて生きています。自分が何かに不安を感じていたとすると、その不安を発散するもの、増幅させるものなど共感するものを探してしまう。また、それを感じて、自分もそのように影響されていくという関係性があります。ここ数年はそういうカタルシス的なものを求めている人たちが増えているのかもしれません。そもそも「なぜ映画を観るのか?」というのを考えなければいけない時代になってきたと思っていて、昔だったら映画鑑賞に「ドラマ性」を求めていることが多かったのかもしれませんが、現在では自宅でも簡単にドラマを大量に消費できます。わざわざ映画館に行って、観る映画というのは何なのかと考えると、大きな画面でしか体験できないものが大事になってくるんではないかなって思っています。ホラーだったら、大音量で大画面の迫力が重要ですよね。制作面、クリエイティブ面での問題もあって、特にこのようなインディペンデントでの映画制作に関して、作品を世の中に広めるのは配給会社の役割です。配給会社がインディペンデント制作のものを見つけてきて、それを買い取って配給するので、配給会社の人たちは今世間が何を求めているのかというのを理解しているので、彼らの目に留まるようなものを作れたらいいんじゃないかなと思います。

●ウィリアム監督はすごくシネフィルなんじゃないかと感じました。影響を受けたフィルムメーカーを教えてください。

ウィリアム: 実は日本の映画も、新藤兼人監督の『鬼婆』や『藪の中の黒猫』を観ています。あとはチェコのニューウェーブだったり、フランチシェク・ヴラーチル監督の『白い鳩』など、フォークホラーを描いていたり、詩的な表現をされている監督に影響を受けています。

●母と娘の関係性が非常にリアルに描かれていて、すれ違いの感覚がとても巧みだなと思いました。監督はなぜ母と娘の物語を選んだんでしょう?

ウィリアム: ひとつめの理由は古典的なフェアリーテイルは女の子が主人公っていうのが多いので、純粋にその影響を受けています。あとは、別のQ&Aで母親役を演じていたマキシン・ピークが答えていた彼女の答えをそのまま引用すると「女性の方が男性よりも面白いから」っていうところです。

●マキシン・ピークさんは日本でも著名な女優です。この作品を観て、私たちは彼女の母親の演技に恐怖で震え上がっていましたよ(笑)。

ウィリアム: 彼女は本当にすごい才能のある役者で、どんなところからでも役との関係性を見つけられるんです。どういう役でもできます。今回、彼女と一緒に仕事をできたことは本当に光栄です。

●キャスティングはどのようにおこなったんですか?

ウィリアム: 以前、一緒に仕事をしてくれた人や、紹介だったりとかでキャスティング担当と決めました。一度仕事をしたことのある人だと、やっぱり「またこの人と仕事をしたいな」と思えること自体が幸運なことなので、そういう縁は大事にしたいですね。

●ウィリアムさん、貴重なお話をどうもありがとうございました!