お知らせ

2020/11/8

ヒストリカ・ワールド『魂は屈しない』スペシャルインタビューを公開!

ヒストリカ・ワールド『魂は屈しない』スペシャルインタビュー(2020年10月26日収録)
ラウラ・カサドール(監督)
(聞き手:京都ヒストリカ国際映画祭 ヒストリカ・ワールド プログラミングチーム)

監督との事前インタビューの内容を公開いたします。作品への理解をより深める一助となれば幸いです。
※以下の記事にはネタバレが含まれていますので、ご注意ください。
『魂は屈しない』をまだご覧いただいていない方は、2020年11月8日(日)まで動画配信サイトMIRAIL(ミレール)にてオンライン上映分を販売しておりますので、ぜひお先にご覧ください。→『魂は屈しない(MIRAIL)』 『ヒストリカ・ワールド4本パック(MIRAIL)』 ご購入後は30日間のレンタル期間(初回再生からは14日)がございますので、お好きなお時間にお楽しみいただければと存じます。



●本作品はキューバで実際に起きた裁判を元に、主人公のエンリケは実在したスイス人医師ということですが、スイスおよびキューバでのエンリケの知名度はどれくらいなのでしょうか?

ラウラ・カサドール(以下、ラウラ): まず、スイスでは、エンリケの存在はほとんど知られていません。この映画によって、初めてニュースで取り扱われ始めました。約15年前にエンリケについてキューバで撮影された短編映画があるのですが、ニュースの片隅で扱われるようなかなりひっそりとした存在でした。ましてや、200年ほど前の出来事なので、女性の権利や自由、同性愛、奴隷に対するエンリケの考え方は今では英雄的のように見えますが、当時の価値観からすると、エンリケは決してヒーローではなかったのです。
一方、キューバは、エンリケに関する出来事が実際に起こった場所なので、かなり有名で重要な存在として扱われています。キューバ独立時からバラコア(キューバでのエンリケの居住地)では片時も忘れられたことがありません。キューバ独立時や80〜90年代、奴隷制度の解放、自由、女性の権利など、さまざまな面でそれらを象徴する人物として扱われてきました。現在でもキューバの医学学校ではエンリケのことを学びます。
そして、エンリケは史実に忠実に……というより、色々な社会問題の象徴と向き合う存在として語られています。現代の文脈だと特にLGBTQの問題ですね。エンリケは同性婚の最初のケースですから。男性として結婚していたわけですけどね。キューバで寛容ではなかった同性愛について映画で扱われ始めたのはトマス・グティエレス・アレア監督とフアン・カルロス・タビオ監督の共同制作である『苺とチョコレート(原題:Fresa y Chocolate)』(1994)です。同性愛と革命、共産主義は両立できないという政治的な話にも結びついています。それが今では、キューバでの同性愛に対する許容はスイスとほとんど変わりません。キューバでは、憲法において同性愛の結婚についてどうすべきかと考える会議があり、政府側は同性同士の結婚を許可しようという提案をしていましたが、国民側が拒否したということもありました。
この映画が公開された後、キューバではたくさんのメディアでの紹介があり、ハバナでもエンリケの銅像が建設される運びとなりました。

●そもそも、ラウラ監督はなぜスイスとキューバを行き来する生活になったのでしょうか?

ラウラ:
まず、私は父がフランス人、母がイギリス人なので、スイスの血は流れていませんが、生まれも育ちもスイスです。キューバに惹かれた理由は3つあります。
最初にキューバを訪れたのは18歳の頃、旅行で3週間くらい滞在しました。元々、キューバに対する関心があったのですが、このときにそれが確信となり、1年間キューバに移り住むことにしました。スペイン語を習いたいという思いもあって、確かにスペインに行ったら勉強できますが、せっかくだからキューバで学ぼうと決心しました。フィデロ・カストロや、チェゲバラ、アメリカに屈しない感じに惹かれていました。キューバがとにかく大好きになったのです。
キューバの国としての雰囲気や土地が好きなのに加え、人びとも好きになりました。配偶者にもこの時に出会いました。今は子どもも3人います。キューバ滞在時に今の配偶者もそのグループの一人だったんですが、若いフィルムメーカーの集団と出会いました。2002年くらいだったんですが、ちょうどデジタル技術が発展し始めて、映画作りが変わり始めたタイミングでした。このフィルムメーカーたちが新しい技術とどう付き合っていくか、新しい英語の言語をどう構築していくかをすごく真剣に考えていた。その時はキューバにUSドルが入ってきて、数年経った頃で、もともと経済的に疲弊していた状態が、その影響で少しずつ良くなって、観光業界がちょっとずつ潤い始めたタイミングですね。
この3つに惚れ込んで、自分もキューバで映画の勉強がしたいと思い、ハバナ大学で脚本と監督業について勉強していました。4年間キューバに滞在し、約5年はスイスに戻り、その後、2010年にまたキューバに戻って、エンリケの話を書き始めました。

●エンリケの存在を知ったのはどういうきっかけなんですか?

ラウラ:
エンリケと出会ったきっかけは、2004年に初めてそのフィルムメーカーの集団と一緒にインディー制作の映画を作ったときに、そのプロデューサーが知っていたからなんです。なぜなら、そのプロデューサーもLGBTQの当事者だったからなんです。彼は私がスイス人なので、エンリケを知っているのでは?と思ったみたいですが、私は全く知らなかったので、彼から話を聞いて、すごく興味を持ちました。その話を聞いた瞬間から、ずっとエンリケの映画を作りたいと思っていました。ただ、すぐに実現するっていうわけではなく、コンセプトとして頭の中でずっと寝かせていました。スイスに戻ってからもキューバに旅行で行くことは何度かあったのですが、エンリケのことを教えてくれたプロデューサーが亡くなったと知りました。どうやら同性愛者に対する暴動に巻き込まれて亡くなったようです。すごく悲しんでいる頃に、ちょうどラジオでエンリケの話が流れてきたんです。実は亡くなったプロデューサーの名前も「エンリケ」だったんです。この話を絶対に実現しなければいけないと使命感に駆られました。そして、この映画が動き始めたんですが、私はドキュメンタリーや短編の制作経験しかなく、長編で、史実に関する時代劇、しかも母国語ではないスペイン語のものは作ったことがなかったんです。そこで、フェルナンド・ペレスに連絡を取りました。1998年の頃に彼の映画がジュネーブで上映されたことがあり、その頃から交流があったので、連絡ができる状態でした。彼に相談すると、一緒に作ろうと呼びかけると、承諾してくれました。もともと関係は良好だったけど、映画を通して、同じ情熱を共有したので、今では親友のような関係になっています。

●ラウラ監督とフェルナンド監督、二人の役割の分担はどういう感じでしたか?

ラウラ:
特にはないですね。最初は一緒に脚本を書いていて、監督を共同でやるかは決めてなかったんです。でも、すでに感覚を共有していたので、監督も共同ということになりました。役割は決めずに、話し合いました。撮影に入ってからは、役者との関係性や相性で割り振ることはありましたが、基本的にはすべて共同でシェアしていましたし、編集も二人でしていました。 フェルナンドと一緒に仕事を出来たことは私にとってとても大きな経験で、彼は映画監督としての技量はもちろんですが、本当に素晴らしい人物です。私の持っていない莫大な経験値があるにも関わらず、常にオープンマインドで、いろんな可能性に対して「いいよ」と受け入れてくれる体制でした。、当時の私は初めての長編だったので、今考えると、これは不可能だろうな……と思うような無謀な提案をしていました。それでもフェルナンドは「一回やってみよう!」と受け入れてくれるので、私もいろんなことを試したり、実験してもいいんだというマインドセットになれました。よくある話かもしれませんが、著名な監督と一緒に仕事をすると、何を言っても向こうの思い通りにされたり、本当に出したい味みたいなのが出せないみたいなことも聞きますよね。フェルナンドの場合はまったくそんなことはなく、「君の映画なんだから君のやりたいようにやったらいいんだよ!」と。常に対等な立場で扱ってくれましたし、自分をしっかり表現する機会を作ってくれたことにとても感謝しています。

●エンリケが最初に出て来たところで「女性ではないか」という風に感じました。エンリケを女性として描くのか、男性として描くのか、というのは、演出の判断としてかなり大きい部分だと思うんですが、どのような判断をされたんでしょうか?

ラウラ:
脚本の段階で、エンリケの扱いをどうするかすごく話し合いました。存在をはっきりわからないように扱うのか、男性として、女性として、というのがはっきりわかるように描くのかというのを悩んでいました。そして、エンリケを演じる女優であるシルヴィー・テステューが初めてキューバに訪れた時、性やアイデンティティを隠そうとしていないのがすごく良いと言われたんです。この映画においては、観客に対して「これってどういうことなんだろう?」というような疑問を作るのはいいのですが、騙すことが目的ではありません。ですので、サスペンスを作るというより、最初から観客が彼女が女性であるということを知った状態でストーリーを追った方がより共感してもらえるし、強く物語の真髄を伝えられるのではないかと解釈しました。ミステリーを作るよりも、その部分を大事にして、話を作ることにしたのはシルヴィーの影響がかなり大きいですね。

●たしかに、そこにサスペンスをかけるようなことをせずに描いているので、観客としては余分な迷いがなく観れたと思います。例えば、ベニテスはなにかエンリケの性に不信感を持っているんじゃないかという風に見えたのですが、それはもともとエンリケの性別を知ってたんでしょうか?なにか気付く部分はあったんでしょうか?

ラウラ:
おっしゃる通り、エンリケの性別ははっきりしているというより、どちらかというと、どちらかはわからないという風に作っていました。例えば、一番最初のショットでエンリケが女性の服を着ているシーンがありますが、あのショットだけでは男性が女性の服を着ているのか、女性なのか、というところまでは明確には表現していません。謎のまま映画は進んでいきます。3年もキューバで過ごして、誰もエンリケのことを疑わないのはおかしいですよね。ベニテスたちの持つ疑惑のようなものにも結びついています。例えば、それは観客と共有した疑問でもあるんですが、エンリケがお酒も飲まない、タバコを吸わない、女性にも興味がないという描写がありましたよね。でも、実はベニテスが疑っているのは女かどうかというより、ゲイなんじゃないかと疑っていたんだと思います。それは約200年前のキューバの人たちも懸念を持っていたとすれば、同じように考えていたんじゃないでしょうか。実際に、当時の記録にもそういう風に残っているそうです。女だったと明白な記述ではなく、この人は一体なんなんだろう?女性なのだろうか?ゲイなのだろうか?というようなニュアンスのようです。矛盾しているというより、はっきりとわからないから、観客の中で混乱みたいなものがあるだろうし、疑問のままストーリーが進んでいくんだろうと認識しています。

●フアナがベニテスを刺すところは、物語としてカタルシスがあるところです。創作でしょうか?史実に基づいているのでしょうか?

ラウラ:
ベニテスという登場人物は私たちの創作です。ベニテスは悪役のキャラクターとして作りましたが、彼の行動や考え方のベースはトライアルの証言やその他資料にあるものを参考にしているので、完全に嘘の存在というわけでもないのですが。 最後に付け加えたいのが、法廷でフアナがエンリケに騙されたと証言したのは事実なんです。そして、フアナはエンリケがキューバから追放された後、エンリケを陥れた黒幕の人物と結婚させられてしまうんです。せめて、少しだけでも、映画の中ではハッピーな要素を作りたかったので、ちょっとした復讐を果たすというか、フィクションリベンジを達成したという感じでしょうか。この映画は決してライトな作品とは言えないので、少しでもそういうカタルシスを味わってもらえたらなと思ったんです。

●ラウラさん、貴重なお話をありがとうございました。