芸術的良心と娯楽精神を見事に両立した 『忠臣蔵』初のトーキー化作品
※現存するフィルムは、音声帯付近の劣化が激しく音声が大変聞き取りにくくなっております。ご了承ください。
11月4日(水)13:30-
チケット情報はこちら監 督 | 衣笠貞之助 |
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出 演 | 阪東寿三郎、林長二郎、市川右太衛門、 高田浩吉、岩田祐吉 |
制作国 | 日本 |
制作年 | 1932 |
時 間 | 125min |
言 語 | 日本語 |
配 給 | 松竹 |
元禄14年3月、東山天皇勅使の一行が江戸に到着した。勅使饗応役を仰せつかった浅野内匠頭は、万事接待の指南役であった高家筆頭吉良上野介に進物が少なかったことから度重なる嫌がらせを受け、次第に増すその非道な仕打ちに怒り心頭に発し、松の廊下で刃傷に及んだ。それがもとで、内匠頭は家名断絶、切腹を仰せつけられた。浅野家の偉才お国家老の大石内蔵之助は、城を明け渡し、同志を集め、主君の無念を晴らさんと打倒吉良を決心する……。
(1896〜1982)[映画監督・俳優] 三重県亀山市生。新派の女形として映画に出演していた衣笠は、1922年、『噫小西巡査』(牧野教育映画)で映画監督に転身。26年、川端康成らと新感覚派映画『狂った一頁』を発表、日本で最初の芸術映画と評される。以降、松竹も下加茂撮影所を拠点に、当時、荒事・剣戟全盛の時代劇界で、新人俳優・林長二郎(後の長谷川一夫)を和事、艶の演技を極めさせ松竹の時代劇進出の騎手となる。その後も、日本古来の美術、建築、風俗の美しさを映画表現に取り入れて独自の様式美を確立した。戦後の円熟期、1953年に大映京都撮影所で『地獄門』を監督する。この作品はカンヌ国際映画祭で審査委員長のジャン・コクトーの称賛を受けグランプリに輝いた。