昭和初期の京都で学生集団がアニメ映画を自主制作! 戦争の意味を問う
監 督 | 田中喜次 |
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制作国 | 日本 |
制作年 | 1930 |
時 間 | 23min |
言 語 | 日本語 |
配給 | 童映社 |
「兵隊の出る卵」を使うことにより自国を勝利に導いたペロー。故郷へ凱旋するが、途上の車窓には、瓦礫、死体、真新しい墓標が続く…。同志社学生を中心に10名のアマチュアで組織された「童映社」の自主制作による約2万コマの影絵アニメ。彼らは「コドモ・シネマ会」という自主上映組織まで運営し各地で上映を行った。童映社は後に太秦のJOスタジオに吸収され劇場用アニメを制作することになる。
1929年に同志社の学生を中心に組織された童映社のメンバーの一人。童映社での影絵アニメーション形式から、後にJ.O.スタジオ漫画部では線画形式のアニメを制作。また、J.O.では円谷英二、政岡憲三とともにミニチュアを使った特撮にも挑んだ。戦中に実写に記録映画作家に転向。戦後は電通映画社の映画部長も務めた。
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