10月31日、京都文化博物館において、第7回京都ヒストリカ国際映画祭オープニング作品であるツイ・ハーク監督の『タイガー・マウンテン~雪原の死闘~』が上映されました。

上映後は、オープニングセレモニー、また同作のエグゼクティブプロデューサーであるジェフリー・チャンさんと、ヒストリカ・ナビゲーター飯星景子さんのトークショーが行われました。

■映画の世界に入ったきっかけ

飯星さん:ジェフリーさんは、どのようなきっかけで映画の世界に入られたのですか?

ジェフリーさん:2002年に、とある映画制作会社にセールスマンとして入りました。2002年は中国市場が開放し始めた時期で、ほとんど中国に入り浸っていました。

飯星さん:ナンサン・シーさんとは、もともとご友人だったのですか?

ジェフリーさん:ええ、そうです。1980年代から知り合いでした。映画制作会社に入ることになったのも、彼女の紹介があったからです。その頃にツイ・ハーク監督とも知り合い、彼の映画のセールスマンになれたらいいのにと思っていました。

IMG_4320

■映画『タイガー・マウンテン』はなぜ生まれた?

飯星さん:中国の映画界は、他の国の状況とは大きく異なると思うのですが。

ジェフリーさん:中国市場には、もともとしっかりとした興行システムが整っていませんでした。ここ15年ほどでだいぶ進みましたが、まだまだ未成熟です。市場開放以前は、商業映画はなく、文芸ものないしはプロパガンダ作品ばかりでした。システムがあるようでない状況は香港映画界も同じです。現在、香港の映画人たちがどんどん大陸に出て行っているのは、彼らにとってもやりやすい状況だからです。

飯星さん:今回の『タイガー・マウンテン』、構想期間はどのくらいだったのでしょうか。

ジェフリーさん:2008年から構想を練り始め、5年かけて作りました。ただ、ツイ・ハーク監督は、1970年代にはすでにこの作品を撮りたいと言っていました。冒頭に古い映画が流れるシーンがあったでしょう。あれは過去に実際撮られた映画です。監督もあの作品を観て以来、ずっと「監督になったらぜひリメイクしたい」と思っていたそうです。

飯星さん:あのような70年代の文革時代の作品を“革命オペラ”と呼ぶのですよね。エンタテインメントがほとんどなかった当時の中国で、老若男女問わず皆が楽しんだ作品です。いわゆるプロパガンダ映画ですが、それを現代に合わせた作品に仕立て直すのには、大変なご苦労があったのでは?

ジェフリーさん:『タイガー・マウンテン』の原作は『林海雪原』という小説で、1946年に実際に起こった出来事について書かれています。それが50年代に京劇の舞台になり、その舞台を撮影して映像にしました。映画の他に、白黒テレビでも放送されていました。文革時代、中国の人々が楽しめた小説や映画は5作品のみでしたが、本作のストーリーはそのうちの1作品です。
 その、知らない者がいない有名な映画をリメイクするに当たり、周囲からはふたつの点を心配されました。ひとつは「クンフー映画や武侠映画など商業作品のエキスパートであるツイ・ハークに、文革オペラのリメイクが撮れるのか?」という疑問です。リメイク映画を得意とする監督ではないので、難しいと思われたのです。もうひとつは「誰もがよく知っている作品を作り変える事」に対する不安でした。しかし、それらの不安を乗り越えて作品は誕生しました。そこが本作の特別なところだと思います。

IMG_4347

■極寒での過酷な撮影

飯星さん:撮影中、苦労された点について教えてください。

ジェフリーさん:中国東北部、ロシアとの国境近くの山中で撮影しました。冬はマイナス35℃にもなる極寒の地です。本当に厳しかった。しかも、そこはスキーリゾート地で撮影には適していません。撮影用のトラックがちゃんと通れる道すらありませんでしたので、道をつくるところからのスタートでした。しかも、雪が降ってからではセットが組めませんので、1年以上前から準備を始める必要があったのです。脚本の完成には4年かかりましたので、実はこの時はまだ脚本がない状態でした。

飯星さん:そんな過酷な環境で、撮影は順調に進んだのでしょうか。

ジェフリーさん:大変でしたよ。マイナス35℃の環境では、カメラもうまく動いてくれませんしね。
 ただ、本当に難しかったのは、雪を相手にしなければならなかったことです。天候を気にしながらの撮影は苦労の連続でした。2012年12月から翌13年3月くらいまで撮影をしていたのですが、その最後の2週間、いよいよ雪が必要というところで、雪が溶けてきてしまいまして(笑)。追い打ちで雨も降り、雪がなくなってしまったのです。そこで、200人のスタッフが、一斉に残っている雪をかき集めに方々へ走りました。実は、撮影場面以外は雪がない状況だったんです(笑)。カメラに映るところだけに雪があればいいのですから。
 ところが、最後の最後に、今度は奇跡的に大雪が降ったのです。それは喜ぶべきことだったのですが、そのせいで停電になりまして。電話が使えなくなり、熱いお湯も出ず、トイレもポンプが凍って水が流せなくなりました。発電車がありましたが、それは撮影機材用の電気を確保するためのものだったので、最後の10日間はシャワーも浴びられなかったです。皆「一刻も早くここでの撮影を終わらせ、山を下りるんだ!」と必死で、ラストは36時間ぶっ通しで撮影しました(笑)。

■ツイ・ハークは「完璧」

飯星さん:噂によると、ツイ・ハーク監督は、撮影中はほとんど眠らないそうですが。

ジェフリーさん:彼はワーカーホリックですよ。1度に10本の映画を平行して制作するほど、エネルギーがある人です。ちょっとおかしいですよね(笑)。才能のある方というのは、個性の強い方が多いように思います。

飯星さん:ツイ・ハーク監督の「ここに驚いた!」というエピソードはありますか?

ジェフリーさん:彼は才能豊かな監督です。非常に有名なCGの魔術師であると同時に、有能なカメラマンでもあります。ポスターなどを手がけさせたら超一流ですし、音楽の編曲などもします。何でも完璧にこなしますので、周囲は「自分の出る幕ではないのではないか」と尻込みをしてしまいます。
 ツイ・ハークは中国では数少ない3D映画を撮る監督です。撮影現場では、2D用のモニターと3D用のモニターを同時に見ながら、それぞれのスタッフに指示を出します。その上、同時に絵コンテを描いているのです。複数の作業を同時に行っています。ですから、周りの人たちは皆静かにしていなければなりません。監督の周りが騒がしくなったら静かにさせるのが、私の役目です(笑)。
 ツイ・ハークの3D作品は、今回の『タイガー・マウンテン』で3作目です。3Dの1作目はジェット・リー主演の『ドラゴンゲート 空飛ぶ剣と幻の秘宝』でした。あの時は、砂漠で撮影するために機材をすべてバスに詰め込み、バスをぐるぐる回すようにしながら撮影しました。機材を運ぶのが大変ですし、砂漠の暑さにはエアコンも必要だと考え、冷房完備のバスを買い上げました。これらはすべて監督のアイディアです。

IMG_4320

■世界が注目する中国の映画マネー

ジェフリーさん:最も費用をかけたシーンは、ラストの飛行機のシーンです。約500万米ドルかかったと思います。おかげで一番エキサイティングに仕上がり、スタッフ一同ぜひ入れたいと思える仕上がりになりました。あのシーンは、原作にはない本作のオリジナルです。監督は、若者たちにもクラシックなストーリーに興味を持ってほしいと思い、現代とリンクするオリジナルシーンを入れました。もう一つのエンディングを用意したのも、映画の面白さを感じてほしかったからです。
 また、飛行機のシーンは、レオン・カーフェイを魅せるためでもありました。レオンは、中国では知らない人はいない大変有名な俳優です。本作では彼だとわからないように、ミステリアスに演出したいと考えていました。そのためにも、普通とは違うキャラクターにしたかった。最初のほうは、ほとんど彼は背中からのアングルでしたでしょう。あのように撮ることで、ミステリアスな雰囲気を出したかったのです。

飯星さん:中国では、年間何本ほどの映画が制作されているのでしょうか?

ジェフリーさん:毎年だいたい7~800本です。2014年の記録ですと、世界の映画の78%が中国で制作されたものでした。

飯星さん:そんな数の映画を撮るなら、俳優やスタッフが大勢必要ですね。

ジェフリーさん:今、中国の映画界は常に人手不足ですよ。俳優だけでなく監督も足りないので、人気がある作家や俳優、Facebookでたくさんのフォロワーを持つ人物にも監督をお願いしています。

飯星さん:国外からも人材がどんどん入って来ていますね。

ジェフリーさん:私どもの会社の仕事でも、韓国の人がたくさん関わっていますよ。私は年間10~12本の作品に携わりますが、日本人スタッフとも仕事をします。編曲家、衣装デザイナー、フォトグラファー、時には撮影クルーまるごと日本人という場合もあります。

飯星さん:では、日本の監督や映画俳優たちも、中国へ行けばチャンスがあるということですか。

ジェフリーさん:今日の中国映画市場はインターナショナルで、オープンです。アメリカの大手映画会社も入ってきていますよ。『タイガー・マウンテン』にも3500万米ドルの予算がついています。それは、中国の興行収入が世界から注目されていて、投資する価値があるからです。ですから、映画を作る意欲のある人には、どんどん来ていただきたいですね。