12月12日、京都文化博物館において、「伊藤大輔初期チャンバラ集」の上映後、
佐伯知紀さん(文化庁主任芸術文化調査官)、牧由尚さん(日本映画史研究家)による解説が行われました。

今回、上映した作品集は、ストーリーも無い、チャンバラシーンのみの寄せ集めです。

昔は6本くらいしかフィルムを焼かなくて、1年くらいかけて全国を回ると、映画会社に戻ってくる頃にはボロボロでした。
当時のフィルムは可燃性なので長くもたないことと、戦争で焼けてしまったり、小さな会社だと保管できなくて処分したりということで、残っていません。

わずかに残ってるものを、個人コレクターから買い集めて、今日上映しました。



断片とは言え、文献からは分からない、監督の技量や演出が分かりますし、価値のあるものだと思います。

昔、映画に音が入るようになると、活動弁士は仕事を無くしました。
自分たちの仕事を守るために、無性時代の映画のフィルムを集めて、全国を巡業するようになりました。
そのおかげで、今でも無声映画のフィルムが残っています。

当時の弁士は人気があって、映画の内容に口出しできるくらいの力がありました。

伊藤大輔監督は、「キネマ旬報」ベスト10の常連でした。
「もらった木戸銭の分は楽しんでもらう」という考えの持ち主です。

「忠次旅日記」でも分かる通り、シリアスなシーンが長く続くと、次はギャグという風に緩急をつけて作品をつくっていました。

乱闘シーンも趣向を凝らしていて、毎回、新しいことをしています。



「忠次旅日記」では左手の立ち回り、「新版大岡政談」はひたすら走る、「素浪人忠彌」では戸板を槍で跳ね上げる、「旅姿上州訛」は強風で枯葉が舞う、「血煙高田馬場」は二刀流、「續大岡政談」は部屋の中で弓矢、「月形半平太」はライトがぐるぐる回るなどです。

「新版大岡政談」のラストシーンは、一般人からは「スピードが早すぎて、ついて行けない」と言われましたが、批評家からは「革新性の高い編集」と言われました。
刀鍛冶と丹下左膳と捕り手の追いかけっこを、前から撮るという、ワイプみたいな構図も斬新です。

無声映画は撮影のコストが低く、スターが独立しやすいという事情がありました。
スターが独立した小さな会社では、予算が無いのと、観客はスターの顔が見られれば喜ぶので、一人で三役も六役もしました。